「茶は養生の仙薬なり」
あなたのそばに御前崎のお茶を
13世紀の鎌倉時代、建仁寺開山の栄西禅師は、わが国最古の茶の薬効を書いた「喫茶養生記」を編さんしました。
将軍源実朝が二日酔いで苦しんだとき、栄西が茶一服とともにこの本を献じられたと「吾妻鏡」には記されています。
しかし、この頃お茶は大変貴重で、庶民には手の届かないものでした。
お茶が普及したのは明治維新後、旧幕臣の士族や失業した大井川の川越人足たちにより、牧之原台地に大茶園が開拓されました。
牧之原台地の南部や御前崎市朝比奈原から、この開拓試作地として着手し、川越人足たちを主導したのが池新田村(現御前崎市池新田)の丸尾文六です。
文六は、大茶園の開拓と製茶技術の向上、そして海外輸出を計画し、道路や港の輸送整備にも努めました。
これら先人の努力により、お茶の大量生産が叶い、今や庶民や海外にお茶が届くようになったのです。そしてお茶は、「日本茶」と呼ばれるようになりました。
様々な時代に、日本人とともにあったお茶。今もあなたのそばにお茶があります。
御前崎の新茶が今年もできました。それは「お元気で」の真心の一杯です。
茶の伝来と喫茶養生記
栄西は、鎌倉時代の初期に臨済宗の開祖といわれる禅僧です。博多では、日本最初の禅寺聖福寺を、鎌倉で寿福寺、京都で建仁寺を建立しました。仏教とともに中国から伝来した茶は、平安時代、貴族や僧侶の間では、薬の一種として考えれ、長寿の妙薬とされていました。
栄西禅師は、茶の薬効を説き勧めた「喫茶養生記」を編さんしました。本書では、茶の製法や効能を説き、喫茶による諸病の治療法を述べ、健康管理の必要性について主張しています。
ウイルス感染を防ぐ茶
茶カテキンは、ウイルスの感染を無力化する代表的な成分です。インフルエンザウイルスの場合、スパイク状に突出したタンパク質を持つウイルス粒子が、喉や鼻腔の細胞に感染します。茶カテキンは、このタンパク質に直接作用し、その働きを抑え、インフルエンザウイルスの感染を防ぎます。
また、乾燥茶葉中にわずかに含まれるストリクチニンという成分は、ウイルス膜と細胞膜が結合することを抑えることで、ウイルスの感染を強力に防ぐことが明らかになっています。
丸尾文六の茶業振興

丸尾文六は、父親から茶業の優位性を学び、明治3年(1870)に、上朝比奈村小泉原(現御前崎市朝比奈北原)を開墾しました。茶の栽培や製茶の技術について、知識や技術を何も持たない状況から先進地に学び、強い指導力と資金力で牧之原台地南部の開墾事業を進めました。こうした努力により、一大産地になるまでに茶園を整備し、川越人足たちを自立できるよう指導しました。その後、物産会社や汽船会社を創立し、茶の直輸出を目指し、道路や橋、港の開港など、地域の発展と日本の茶業界の発展に尽くしました。
御前崎新茶のお買い求めは市内取扱い店へ
住所:御前崎市上朝比奈1671
電話:0537-87-2061
住所:御前崎市上朝比奈1864-1
電話:0120-203-287
住所:御前崎市上朝比奈489
電話:0537-87-2041
住所:御前崎市白羽5714-3
電話:0537-63-4189
記載の情報は御前崎市商工会などに登録の店舗です。詳しくは「御前崎市茶業振興協議会」のホームページをご覧ください。
「御前崎市茶業振興協議会」http://www.omaezaki-cha.net